2010年02月03日

冨田 洋之 プロフィール

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冨田 洋之(とみた ひろゆき、1980年11月21日 - )は元体操選手。順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科助教。日本オリンピック委員会専任コーチ。

生誕地 大阪府
身長 166cm
体重 62kg
引退 2008年12月

1980年11月21日、大阪府に生まれる。8歳から体操を始める。得意種目は鉄棒、つり輪、平行棒。

全6種目に強い世界有数のオールラウンダー。「美しくないと体操ではない。ただ派手な技をやるだけならサーカスと変わらない」というのが信条。体線が美しく、瞬発力、筋力、脚力など総合力に優れる。尊敬する選手はバルセロナオリンピックで6冠のビタリー・シェルボ(ソ連)。

2004年8月、アテネオリンピックでは日本チームのエースとして出場。金メダルのかかった最終種目鉄棒の最終試技者として、スーパーE難度のコールマンを成功。フィニッシュの伸身の新月面宙返りでは完璧な着地を決めて(NHKアナウンサーの刈屋富士雄の実況も話題になった)、団体総合で日本の28年ぶりの金メダル獲得に貢献。種目別の平行棒でも銀メダルを獲得。

2005年、日本選手として31年ぶりとなる世界選手権個人総合で優勝。2006年、世界選手権個人総合で2位となり、世界選手権3大会連続で個人総合のメダルを獲得。

2007年9月、体操界で最もエレガントな表現をした選手に贈られるロンジン・エレガンス賞を日本人として初めて受賞。

2008年8月、北京オリンピックでは団体総合の銀メダル獲得に貢献。個人総合でのメダルも期待されたが、得意のつり輪で落下し、4位に終わった。

同年11月、「理想としてきた美しい体操を自分の中で演技することが難しくなってきた」として、現役引退を表明。同年12月、ワールドカップ大会を最後に28歳で現役を引退した。

2009年1月、国際審判員の資格を取得。同年3月、セントラルスポーツを退社。同年4月、順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科助教、日本オリンピック委員会専任コーチに就任。

受賞歴

* 2004年9月、紫綬褒章、文部科学大臣顕彰、大阪府知事賞詞、大阪スポーツ大賞
* 2007年9月、国際体操連盟からエレガンス賞

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2010年01月29日

川崎宗則 プロフィール

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川ア 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)。

身長179cm
体重74kg
投球・打席 右投左打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1999年 ドラフト4位
初出場 2001年10月3日
年俸 1億5,000万円(2010年)
経歴(括弧内は在籍年)
鹿児島県立鹿児島工業高等学校
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (2000 - )

兄の影響で野球を始める、小、中、高校生と遊撃手。鹿児島県立鹿児島工業高等学校時代は中央球界では無名だったが、50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「サツロー(薩摩のイチロー)」とも呼ばれた。

1999年のドラフトで福岡ダイエーホークスに4位指名され入団。

2008年現在までに盗塁王、最多安打、ゴールデングラブ賞を獲得。走攻守に秀でた内野手。元気溌剌なプレーでムードメーカーとしてもチームに貢献。投手が打ち込まれた際などに自らタイムを取って声をかけに行く光景などがよく見られ、首脳陣からも次期チームリーダーとしても期待されていた。そして、2010年シーズンより斉藤和巳の後を引き継ぎホークスの選手会長となることとなる。

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2010年01月26日

カカ プロフィール

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カカ(Kaká、本名:リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ、Ricardo Izecson Dos Santos Leite、1982年4月22日 - )はブラジル、ブラジリア出身のサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(オフェンシブハーフ・トップ下)。2006-2007シーズン以降、セカンドトップなどフォワード的なポジションを任せられることも多い。

身長 186cm
体重 83kg

カカはブラジルの首都ブラジリアで生まれる。父ボスコはエンジニア、母シモーネは学校の教師として家庭を支え、カカが生まれた後すぐにクイアバに移住し、 7歳の時にサンパウロへ来る。彼自身が「幼い頃からサッカー以上に好きなものはなかった」と語るように、ボールを蹴ることが何よりも楽しみだったという。父がサンパウロFCのクラブ会員だったので、9歳でサンパウロFC(ブラジル)のクラブ会員用のチームに加入。当時から技術面では優れたものをもっていたが、他の子たちに比べて線が細く、補欠に甘んじていた。その後クラブでのトレーニングの成果でビルドアップに成功、弱点を克服した。

トップチームデビューは2001年2月のボダフォゴ戦。途中出場ながら2得点を決める活躍を見せると、以降サンパウロFCのトップチームに定着。程なくブラジルA代表メンバーにも選出され、2002年にはワールドカップ日韓大会のメンバーにも選ばれ、出場機会は少ないながらも優勝を経験した。

翌年、850万ユーロ(約11億円)の移籍金でイタリアセリエAの強豪・ACミランへ移籍。移籍初年度、チームの司令塔であるルイ・コスタのバックアッパーとしての働きを期待されていたが、蓋を開けてみるとリーグ戦2試合目からレギュラーを奪い取り、逆にルイ・コスタをベンチに追いやって、期待以上の働きを見せた。移籍初年度にはセリエAで30試合に出場し、スクデット、UEFAスーパーカップを獲得した。

獲得タイトル

* 2002年 : ボーラ・ジ・オーロ(ブラジル全国選手権MVP)
* 2003年 - 2004年 : オスカル・デル・カルチョ(セリエAリーグMVP、最優秀外国人選手賞)
* 2004年 - 2005年 : UEFAチャンピオンズリーグ最優秀MF
* 2005年 - 2006年 : オスカル・デル・カルチョ(セリエA最優秀外国人選手賞)
* 2006年:
o UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー
* 2006年 - 2007年:
o UEFA年間最優秀選手(UEFAチャンピオンズリーグMVP)
o UEFAチャンピオンズリーグ得点王、最優秀FW
o オスカル・デル・カルチョ(セリエAリーグMVP、最優秀外国人選手賞)
* 2007年:
o バロンドール
o FIFA最優秀選手賞
o FIFPro年間最優秀選手賞
o UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー
o 英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞
* 2007年 - 2008年 : FIFAクラブワールドカップ大会MVP
* 2009年 - FIFAコンフェデレーションズカップ大会MVP(ゴールデンボール)

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2010年01月20日

五十嵐 圭 プロフィール

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五十嵐 圭(いがらし けい、1980年5月7日 - )は、新潟県上越市出身のバスケットボール選手。チームとはプロ契約を結んでいる。マネジメント会社は株式会社スピードエージェンシー。田臥世代の一人。

身長180cm、体重68kg、足のサイズ28cm、血液型A型、ポジション:PG。小学6年生からバスケットを始める。直江津東中学、北陸学園北陸高等学校、中央大学文学部卒業。

2003年、日立サンロッカーズに入団。日本代表でバスケットボール世界選手権に出場する。背番号7番で、2006-2007シーズンから日立のキャプテンを務める。

ニックネームは「ケイ」。2005年7月のキリンカップでは優秀選手に選ばれ、ジェリコ・パブリセヴィッチヘッドコーチに「世界レベルのスピード」と言わしめたポイントガード。

日本バスケ界きってのイケメン選手と言われ、追っかけファンなども存在する。ちなみに日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥勇太とは同学年で友人でもある。

2009年、トヨタ自動車アルバルクに移籍。今シーズンより背番号は♯1に変更した。

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2010年01月15日

湯元 健一 プロフィール

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湯元 健一(ゆもと けんいち、男性、1984年12月4日 - )は、日本のレスリング選手(60kg級)。和歌山県出身。日本体育大学助手。2008年北京オリンピック銅メダリスト。和歌山県立和歌山工業高等学校、日本体育大学卒業。身長165cm。

双子の弟湯元進一(自衛隊)もダン・コロフ国際大会やベログラゾフ国際大会等での優勝経験があるレスリング選手であり(55kg級)、北京オリンピックでは兄健一の練習パートナーを務めた。

2007年1月28日、天皇杯全日本レスリング選手権大会 男子フリースタイル60kg級に出場。決勝で井上謙二を下し、優勝を果たした。なお、山本"KID"徳郁が出場し、注目を集めた大会・階級である。

2008年5月、ポーランドワルシャワで開催された北京オリンピック出場権獲得予選最終ステージ第2戦 男子フリースタイル60kg級で優勝を果たし、五輪出場権を獲得した(ただし、日本代表決定は持ち越し)。

2008年6月、明治乳業杯全日本選抜選手権 男子フリースタイル60kg級に出場するも、初戦で敗退。同級で優勝した高塚紀行とのプレーオフに勝利し、北京五輪代表に決定した。また、同選手権フリースタイル55kg級では弟・進一が優勝を果たした。

2008年8月、北京オリンピックレスリング男子フリースタイル60kg級に出場し、銅メダルを獲得した。

2009年4月より綜合警備保障に入社。レスリング部に入部する。

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2010年01月13日

本田 圭佑 プロフィール

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本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、大阪府摂津市出身のサッカー選手。所属チームはPFC CSKAモスクワ。ポジションはミッドフィールダー。

身長 182cm
体重 74kg
血液型 AB型

小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。中学生時代にはガンバ大阪ジュニアユースに所属し安田理大、家長昭博らとプレーしたが、ユースチームへの昇格の内定が出なかったため星稜高校へと進学した。1年時に全日本ユース選手権で準優勝し、3年時の第83回全国高等学校サッカー選手権大会では石川県勢としては初のベスト4入りの原動力となった。2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦にも起用され数試合出場を果たした。

高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受けたが、2005年シーズンから名古屋とプロ契約を結んだ。開幕戦から先発出場しアシストを決め、翌2006年にはレギュラーに定着した。同年にはA代表にも飛び級で初招集されたが出場はなかった。2007年北京五輪アジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。

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2010年01月07日

ブライアン・ジュベール プロフィール

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1984年9月20日、フランスポワティエで生まれた。母国では1965年のアラン・カルマ以来ひさびさの世界チャンピオンとしてアイドル的な人気を誇り、雑誌の表紙やグラビアページを頻繁に飾っている。ミスフランスとの交際が報じられたこともある。ウィリアムズ症候群患者のサポーターとしても知られ、チャリティ活動にも取り組んでいる。

身長: 179 cm
体重: 74 kg

トウループとサルコウで4回転ジャンプを跳ぶ選手で、4回転のトウループをSPとFSの両方で跳ぶことのできる数少ない選手である。
演技構成点においても評価されており、すべての項目で8点台以上をそろえたこともあり、9点台をマークすることもある。

4歳のときにスケートを始めた。ほんとうはアイスホッケーがやりたかったのだが、母に「(スケートをやっていた二人の姉と)同じことをやりたい」と言ったところ、フィギュアスケート教室に入れられてしまった。しかし、ジャンプが楽しかったのでフィギュアスケートにのめり込んでいった。
2001-2002シーズンのISUグランプリシリーズスケートアメリカでシニアの国際大会にデビュー。フランス選手権で3位に入ると、初めて出場した欧州選手権でいきなり3位に入り、ソルトレイクシティオリンピック出場を決めた。
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2010年01月05日

内村航平 プロフィール

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内村 航平(うちむら こうへい、1989年1月3日 - )は、長崎県諌早市出身の体操選手。長崎県諫早中学校卒東洋高等学校卒、日本体育大学、2008年北京オリンピック代表。身長161cm 体重54kg

生まれは福岡県北九州市、自身が3歳の時諫早市に移住。生まれたのは元号がまだ『昭和』だった時であり、その4日後に『平成』に改元したことに肖り、『平成の時代を真直ぐ渡れるように』という願いを込めて、『航平』と命名された。父・和久、日体大体操競技部出身、母・周子、元体操選手。妹・春日(はるひ)も体操選手という体操一家である。

両親の反対を押し切り、中学卒業と同時に憧れだった塚原直也がいる朝日生命体操クラブに入門した。

東京の東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に推薦入学。

2006年全国高校選抜大会と全日本ジュニア共に2冠をし、2007年ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝。2008年、初めてのオリンピック代表選考レースである二次予選では二日間ともに先輩でもある冨田洋之選手を抑えてトップに立ち予選通過。

最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得しオリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも 23人を抜き、最終的には2位となり、銀メダルを獲得した。

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posted by yudo55 at 15:30| Comment(1) | 内村航平 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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